批判された着物屋
今年も暑さたまらんです
皆さんいかがお過ごしでしょうか 先日、ホームページのアクセスを見てみたら、意外にもブログが高くて、モチベーションが上がりました
でもちゃんと書こうと思ったら悩むわけです 「中身がないとだめかな」と思うからこそ筆がすすまない、いやタイピングがすすまない。
さて、今回のタイトルは結構真面目。
最近、インスタに力を入れている当店ですが、おかげで少しずつ知名度も上がってきました。 担当スタッフの久保田さんの頑張りも大きい。
インスタで大切なことは、続ける、ウソをつかない、目立つ、ということかなと感じています。
続ける、目立つ、が難しい。
筋トレもダイエットも勉強も間違いない方法で続けりゃ絶対に成果は出る、でもすっごい難しい。 自分一人でやっていると甘くなってしまうし、どんどんずれてきてしまうんですよね。
インスタに力を入れ始めて1年半。 続けていると、どの投稿が伸びるのかわかるようになってきます。 それを踏まえて目立つものが作れるわけです。 目立つものは多くの宣伝になり、バズるものはまたさらに宣伝効果が高まります。
ですが、それによってバズった投稿には批判的な声も上がるようになってきます。 認知の結果ととらえてはいるのですが、せっかく良い機会なので、ここに書きます。
我々の仕事は、着物ファンを作ることです。
着物ファンを作らなければ、この業界はあっという間になくなります。 文化なので、一部は残るとは思いますが、おそろしく小規模になってしまいます。
今後、着物は1反100万円以上、仕立ては10万円、洗いは2万円、なんて時代もくるかもしれません。 一部の富裕層の楽しみになってしまうのかな。。
もちろん、僕ら小売店の大半はなくなります。 着物を着ることも見ることもなくなります。
そうならないために、どうしたらいいのか。 それは着物ファンを作り、需要を生み出し、メーカーや着物に関連する技術者である着付け師、着付けを教える先生、和裁師、悉皆業者を守らなくてはいけません。
では僕らにできる「着物ファン作り」は、
①適正な価格で着物を販売する
②正しい技術を継承する
③着物へのハードルを下げつつ広報活動をする
だと考えています。
①は安くても高くてもいけない! メーカーが販売したい金額をあまりに下回るとブランド力が低下し、安売り合戦になります。 着物や帯は誰もが知る高級ブランドと同じです。 単価、こだわりの製法などの観点からいうと当然です。 いや、歴史や文化的な目線でいうならそれ以上です。 もし、シャネルの正規品が定価を下回る値段でいたるところで売られていたらどうなるでしょう。 安いばかりでなく、高すぎるのも着物ファン離れになります。
②は文化である様々な技術を世に残し、理解をいただくことが大切です。先人が生み出し磨き上げられてきた職人の技術は宝です。
③着物へのハードルは高いと誰もが知っています。 高価・面倒・難しいなどの言葉がすぐに連想されてしまいます。 それをどう広報活動するか、これは困難な悩みです。
今は効率化、合理的の世の中で、コスパ、タイパ、スペパが正義のような時代です。
コスパ・・費用に対しての効果
タイパ・・時間に対しての効果
スペパ・・空間に対しての効果
すべて、小さい動きで大きな効果を得られるものが人気になっていますが、「着物」はそれと真逆です。 着る前に半衿をつけて、必要な小物や下着などの準備をし、着るのにも時間がかかる。
それを正直に出すのも広報です。
ですが、それが世に受け入れらるのは少数ではあります。 コスパ・タイパ・スペパとは相いれないから。
着物の概念を少し変えて発信するのもひとつの作戦です。
着物姿で面白いことをしてみたり、洋服っぽいことをしてみたりすることで、着物に興味のない人にも興味を持ってもらうことができます。
それをどの加減で発信したらいいのか、やり過ぎても批判が出るし、慎重にし過ぎても真面目なものばっかりでも面白味のない広報になる。
NHKも必要だけど民放というスパイスも必要だよね。 という感じです。
若いころ、車を運転していてイライラすることがありました。 時速30kmで走る車があって、追い抜かしたいけどできない道。
なんでそんなに遅いんだ、もっとスピードを出したらいいのに、時間に遅れちゃうじゃないか、と。
今は、想像します。
超初心者? 人に借りた車で慎重になり過ぎている? 電気だけで走行しているからアクセルを制限している? 仕事のことを考えながら運転? など考えられることは沢山あります。 そう考えたらイライラすることはない。
中年になってできるだけ、いろいろなパターンを考えることにしました。
彩蔵の広報活動によって、沢山の人がいろいろ思うところはあると思いますが、これは
「着物を後世に残すためにやっている活動の一部」
ととらえていただけると助かります。
僕もまた歳をとりました。
今年度はもっと沢山の角度で物事を理解できるようになります。