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公園での闘い

公園での闘い

GW真っ盛りのある日のこと

 

僕は久しぶりの連休にウキウキ  好きなことをやるぞ といきこんだ連休  元々、コロナの影響をほとんど受けていない僕にとっての好きなこととはテレビを視る そんな程度

※ここでいうコロナの影響とは 外食、遊びに行く、人と会う ということを日ごろからしていないので、個人的に生活はほぼ変わらない

 

最近ようやく痩せてきた身体をこの連休で太らせるわけにもいかず、家ではトレーニングをしていました

 

いつも同じ環境でやっているのもつまらないので、たまに公園に行こうとあの美香保公園へ

 

ここは高めの3段階の鉄棒がある 手を伸ばして足がゆうゆうつく位、ギリギリ足がつく位、そして手を伸ばしても20㎝届かない位 

 

 

 

車を停めていると、遠目に鉄棒で初老の方が何かをやっている  近づく頃にはその少し手前でストレッチをしていました

 

良かった やっぱり並んで鉄棒をするのはちょっと恥ずかしいので・・  

 

ボーリングで投げるときにちょうど隣のレーンでも投げるような気まずさ  手を乾かして時間をずらすような そんな感じ  いや違うか?

 

鉄棒近付きながら肩と膝、アキレス腱をのばす  肩は懸垂のため、膝とアキレスは落ちたときにケガをしないため

 

そう僕は、一番高いところでするつもりだったのです  ここの方が気持ちもアガる 

 

僕は家にも懸垂マシーンがあります  とはいってもぶら下がり健康器に毛が生えたレベルのやつ  家でも頻繁にやるのですが、公園のは違います  

 

こちらはしっかりと地面に設置されているので、反動をつけても大丈夫  ですから回数も稼げるわけです  記録に挑戦できるわけです

 

気合を入れて1回、2回を続ける  

成人男性の平均は7回といわれているけれど、本当にそんなにできるのか? というほど疲れる運動が懸垂です  いや7回もできるわけない 決して筋肉がないわけではない友人は2回ほどと言ってました

 

で、僕は回を重ねます  強度がほんとうにすごいので、心臓が張り裂けそうなほど疲れるのです  息をとめて運動しているかのような

 

ぶら下がりながら休む  これはイコール「終わり」なんです  ふつうは 男性ならわかるはず

 

なぜなら、懸垂をしっかりと腕を伸ばしてできる人は、世には少ない たぶん平均7回は腕を伸ばしてやる方法ではないこれは断言しちゃう   

何度もいいますが、懸垂のトレーニング強度は相当高いんです  日本政府はこの平均値を改めたらいいと思う  どういう基準でその平均をとったんだろ  逆手もダメだし、腕も伸ばさないとダメ   僕の基準ではね  

 

僕は休んだあとも、また顎を引き上げることができます   それはいつも腕を完全に伸ばして懸垂をしているから  そんなどうでもいいことに優越感を覚えつつ懸垂を終える僕  本当に小さい男で困ったもんです

 

疲れた身体を休めつつ、隣の低い鉄棒のところで肩筋を伸ばしていると

 

おじさんが高い鉄棒にやってきたではありませんか  

 

なに! このおじさんはボーリングのマナーを知らないのか? と内心

 

まあ、そのマナーはあくまで僕の例えであり、それがこれと同じではないわけであり、なんならこのおじさんはボーリングのときも譲らないのかもしれないし  もひとつ云うなら、ボーリングに行ったことがないのかも

 

ここからは僕の妄想ですが

 

おじさんは僕の懸垂に触発されたのだろう  このあまりに高強度な運動をスイスイとやる若いもんに負けてられっか  

 

なに? あいつ 終わったと思ったら(手を伸ばして休んだとき)また2回もやったではないか  なかなかやるな  よっしゃ俺もやってやるぞ

 

で、ふんふんやったおじさん 

 

これは傍から見れば勝負である  男と男の闘いなのである  懸垂を愛するオスとオスとの存在感をかけた、いや縄張りをかけた。。。

 

僕がこなした懸垂は結構な回数だと思う  パンチングマシーンでいえば、本日のトップ5くらいには入るだろう回数 

 

それを初老のおじさんが超えたとは思えない いやこれは慢心かもしれない  昔体操をやっていた相当な方や、この公園では有名な懸垂おじさんであるなら、僕の回数はひよっこかも  でもそれはあまり考えられない

 

しかし、この勝負は完全に僕の勝ちである  たとえおじさんが体操選手であっても

 

おじさんが僕の懸垂のあとに、すぐやりだしたのは僕に影響を受けたからに違いない  回数なのか、休んだと思ったらやりだした余裕なのか、スピード感なのか  

 

おそらく僕の始終を観察していたろうと予測できる  

 

しかし、僕はおじさんの回数もスピードも何もかも  全てを見ていないのだ  土俵には上がらなかったのだ  それは勝ちを意味する

 

僕はおじさんと勝負をしてメリットはない  年齢的にも、家に懸垂器がある点でも、勝って当然の要素が整っているのである  

 

ではあえて、勝負をしなかったのか? 逃げたのか? と言われるとそれは反論したい

 

おじさんの1m横にいる僕が、そのやっているところをマジマジ見ていたらいかにもなのは言うまでもない ストレッチをしていたらたまたま視界に入ったというのらまだしも・・・

 

ですが結果は変わらない この勝負は僕の勝ちである

 

しかし、讃えるべきはこのおじさんである  

 

おじさんは闘うことをやめなかった  年齢に抗い、家庭環境に抗い(家に懸垂器がないという不利な※)、僕と勝負する道を選んだのだ  ※あくまで予想です

 

すばらしい 「男は愛する人を守るために強くありたい」と願う生き物である  男女平等が大きく提唱される時代であっても、僕は男なら死ぬまでその気持ちは大切にしてほしいと思う  女性に限らず弱いものを助ける存在であってほしい

 

強い人には勝てない、大きい人には勝てない、それは当然だけど、それに立ち向かう心が男だと信じている 負けるとわかっていても勝負するのが男なんだ

 

おじさんを讃えたい  今度、美香保公園に行くときはそのおじさんに声をかけてみよう  今日の敵は明日の友だ

 

   

 

 

 

 

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