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訂正ができない噓

訂正ができない噓

彩蔵では月に一度、お名前と住所をいただいた方へご案内を送っています。

内容は、お出掛け企画と報告、お手入れのキャンぺーン、僕のつぶやき、展示会、表紙の写真などです   A3の紙の両面に満載で書いております。  

当初はA4の紙1枚からスタートでしたが、今はもう112号になります。  いろいろ考えて4倍のスペースへと更新しましたが、「こんなに書けるんだろうか」と当時は結構悩みました。 

でも、これをずっとファイリングしてくれている方もいらっしゃったり、写真を切り抜いて額に入れて飾ってくれている方がいたりと、今はやりがいを感じて作っています。

特に写真の反響は大きく、数年ぶりにお電話をくださる方が開口一番「あの写真が楽しみでね」と言ってくださるのは、嬉しい限り。  僕と弟で撮るのですが、毎回気合を入れています。  そのために遠くまで車を走らせることも。 

このようなチラシ、そういえば名前がなかったので「ワクワクチラシ」と今ネーミングしました。  このワクワクチラシを月に1度送るわけですが、数か月に一度、先方からこのようにお電話をもらうこともあります。

「もう引っ越ししたので、送らないでください お世話になりました」と。  北海道以外であればなかなか来店されることもないでしょう。  寂しいけれども「また何かあればよろしくお願いします」と止めます。

つい数か月前のこと、男性から「ずっとチラシを送ってくれてありがとうございました。 妻は5月に亡くなりましたので」と電話がありました。

その奥様は僕が初めてこの業界に入った前職で、7年ほど一緒に仕事をしていた着付けの先生でした。  市外に住んでいたこともあって、彩蔵として仕事のお付き合いはありませんでしたが、たまに遊びに来てくれました。

明るく、優しく、愛嬌のある方でした。  好きな先生でした。  

皆あのお茶目な雰囲気にいつの間にか仲良くなってしまう、そんな先生でした。

 

4年前、遊びに来てくれた先生は体調があまりよくない、と言っていました。  「先生、また元気にパーティーに来てよ」とその時は別れました。  それ以前に、一度パーティーに出てくれたことがあってその時も「私、買い物してないけどいいの?」、僕「そんなの気にしなくていいよ 一緒に楽しみましょ~」とお誘いしました。

その次に会った時、先生は杖をついて、耳には補聴器をつけていました。  それでも相変わらず明るい先生は、近くで友達とランチをした帰りに寄ってくれ、近況などたわいもない話を30分くらいして。

来店頻度が少なくなった頃にLINEで「布川さん 元気? LINE覚えたんだよ~」 「先生久しぶり、最近どうですか?」みたいな感じを、年に1度くらいのやりとりになりました。

ある時、先生の名前で電話が鳴りました。  「おっ先生 元気ですか~」、「布川さん、私今あまり体調よくないんだけど、5月のパーティーに出るのを目標に頑張ってるんだ。 ステージに立ってお花もらいたいんだよね」、「先生、5月って結構先ですね。 出てください出てください。 待ってますよ♪」と電話を切りました。  確かその時は12月くらいだったかな。

先生が出てくれたパーティーの時、誕生月の方へ花束をプレゼントしていました。  これは喜ばれました。  年に4回位パーティーをしていてこの時は、~月から~月の方が誕生月、と必ず全員の方へ花束をプレゼントしていたのです。

先生はそれを目標にしたい、と僕に5月のパーティー出席の連絡をくれたのでした。   

先生とはそれが最後になりました。  

忙しくしていた僕は、先生が目標としていた5月のパーティー(実際には開催していませんでした)と先生の電話のことをすっかりと忘れて、思いだしたのがご主人のお電話でした。   

先生亡くなったんだな。

最後に話したのはほんの2・3分でした。 が内容はあれでよかったと今でも思います。

コロナの影響もあり、数年前からパーティーでは誕生月の方への花束贈呈はやめていました。  「それを言わない方がいいかな」となんとなく感じて本当のことは伝えませんでした。

あの時、「先生もう花束贈呈はやめたんだよね」と言っていたら、悔やんでも悔やみきれなかったろうな    

嘘はあまりつきたくないけれど、今回は許される内容だったかもしれない

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